2020年12月28日、上越零細連は高鳥修一議員に7項目からなる提言書を直接手渡しました。
そこに至るまでの記録です。
事前訪問
上越零細連を設立して一ヶ月ほど経った2020年6月23日。
10時より高鳥修一事務所を訪問し、所長の古川尚さんと面会しました。
このときは零細連の趣旨を説明し、高鳥議員に直接提言を渡したい、その前にフォーラムを開催するのでその後改めて面会をお願いしたい、という流れをお話しました。
この日一番印象に残っていること。
私たちが退出しようとしていたとき、たまたま事務所が雑談されていた中に「MMT」という単語だけ耳に入ってきました。
私たち上越零細連の理論的基盤が「MMT(現代貨幣理論)」です。
高鳥事務所でMMTという単語が聞かれたことに希望を感じたものでした。
フォーラムからワークショップへ
零細連フォーラムは7、8月、遅くとも9月には開催する予定でいました。
しかしコロナ禍による集会に対して世間の抵抗感があると予想されるため、時機をみているうちに9月に高鳥さんが議員で初となる新型コロナウイルスに罹患したのです。
そうこうしているうちに秋になり、年内には提言を渡さなければと焦っているうちに、一方で7つの提言は固まりました。
そこで11月に提言の発表とあわせてワークショップを開催しました。
フォーラムをワークショップに変更したのは、当初予定した時期から大幅に時期がずれたため大規模なフォーラムを開催するのは難しいこと、日程の設定が結果的に急になったため多くの参加者が見込めない可能性があるならば参加型にしたほうがよいと判断したことなどがあります。
コロナによる差別
11月15日の提言発表会・ワークショップで提言も発表したところで、いよいよ高鳥さんに直接提言を渡しにいくこととなります。
この頃、気になる話が流れてきました。
高鳥さんがコロナに罹患したことで、高鳥事務所の家族の方が、高鳥さんとは直接接触がないにもかかわらず、スポーツクラブへ参加を断られたというものです。
上越地域は昔ながらの閉鎖的な空気がまだ色濃く、一人目のコロナ罹患者が出たとき犯人探しの大騒動になったことは記憶に新しいでしょう。
たしかにコロナウイルスに対する見えない恐怖や、経営する店などから患者が出て経営に影響が出ることに対する警戒があるのは一般的には理解できます。
しかしそれを理由に差別や偏見をしていい理由にはなりません。
高鳥さんはこの頃、その自身の経験をもとに議員立法により「コロナによる偏見・差別をしてはならない」という趣旨の法整備を勧めていました。
Twitterなどで流れてきたのはそれが一部の野党の反対で頓挫した、というものでした。
面会できるならこのことを聞いてみたい、という気持ちを胸に12月、高鳥事務所にアポの連絡を入れたのでした。
再度高鳥事務所へ
2020年12月28日。
暮れも押し迫り仕事納めにもなろうという年末の月曜日、ようやく高鳥事務所を訪問することとなりました。
この日は高鳥事務所からの再三の依頼で、メディアは入れないこと、写真撮影は禁止であること、という約束でした。
事前にプレスリリースをしていたため、当日事務所前には複数の報道機関が準備してくださり、私たちの訪問を見守ってくれました。
約束の時間は9時30分から15分。
そのあとも面会があるそうで時間厳守ということでした。
ビルの階段を上り2階へ、事務所のドアを開けます。
政治家の事務所というのはなかなか行く機会もないため風景を描写すると、入った手前にカウンターがありその中が事務所スタッフの方の席。部屋の奥が応接というかミーティングテーブルのあるスペースとなっています。
壁には自民党のポスターから始まり、それこそ市議、県議から国会議員まで選挙用のポスターが埋め尽くされるほどに貼ってあります。
史学科出身の私的には「長州出身の政治家が日本を作った」的なポスターが興味を惹きました。
さて、ミーティング席に通していただき、高鳥さんを待ちます。
ついに高鳥修一議員に面会
しばらくして高鳥さんご本人が事務所に到着。
お会いするのはずいぶん久しぶりでした。
実は高鳥さんも、当日お邪魔した今井、伊東くん、町くん、全員早稲田大学の同窓生です。
年に一、度早稲田大学上越稲門会の総会が開催されるのですが、議員になられてからは高鳥さんの参加がなかなか叶わないでいたので、数年ぶりでした。
最後に会ったときは稲門会後に仲町のスナックに伊東くんと一緒に連れっていっていただき、一緒に「明日に架ける橋」を歌ったっけ…なんてちょっと思い出していました。
高鳥さんはイラスト入りオリジナルマスクをしていました。
高鳥さんの隣には所長の古川さんも同席し、提言を提出、私たちからの説明となります。
まず私から零細連の団体趣旨説明、次に伊東くんから7つの提言について説明をして、最後に町くんが締めるという流れとしました。
ひととおり目を通して、高鳥さんが口を開きます。
零細連が「圧力団体である」と私が話したことについて。
「最初に、こういう陳情っていうのはね、自分から圧力団体なんて言うもんじゃないんだよ…受ける側のことも考えてね…」
ですよね…。それは重々承知しておりました。
高鳥さんに指摘されて、「はい」と頭を下げながらニヤニヤしてしまっており申し訳ありません。そこは今井のキャラクターがさせてしまったことなのです。
提言について。
1の「<粗利補償>は趣旨としては理解できる。」
粗利補償は「日本の未来を考える勉強会」の安藤裕さんも言っているわけですが、そのことについて高鳥さんも「彼とは話をしているし、僕も議員連盟(保守団結の会)を作ってやっています、としっかりアピールされていました。
2の「<再度の持続化給付金>については(2020年)夏の時点で既に党のある方(名前は伏せます)に言っています。」とのこと。
4の「<業種による差別をやめよ>」についてはそのとおりなのだが」と、オフレコで実現しないでいる経緯を話してくださいました。
6、7の「消費税廃止」と「社会保険料の廃止」については、言葉を選びながら持論を話してくださいました。
そうこうしているうちにあっという間に15分が経過。
「そろそろ」と水を向ける古川所長に対して「次の人はまだ来てないんでしょ、もうちょっといいよ」とさらに話を続けてくれました。
今回私たち零細連は地元選出の国会議員に提言を提出する、という方法論を採ったわけですが、それについて「政治、政権を動かしている決定権者は誰なのか」が大事であるという話。そこを見極めなければならないわけですね。
当日は人名、組織名もいくつも出て「これはオフレコだよ」と何度も念を押しながらいろいろ話してくださいました。
ひとことで言えば、国会議員であっても越えなければならないハードルがたくさんあるということです。
個人的に聞きたかった前述の「差別解消法案」が成立しなかった話も伺いました。この時点ではオフレコでしたが、その後高鳥さん自身が公開で経緯を書かれています。結果的に2月の補正予算案に組み込まれる形でこの差別解消法案は成立しました。
時間を大幅に超えて10時近くなったころ、次のお約束の方がいらしたらしく、それではここまでということとなりました。
御礼を述べて退出。
外で待ってくれていた報道各社にその後30分ほど感想を話し、解散となりました。
まとめ
この記事を書いている私今井の感想ですが、大きく3つあります。
1.高鳥さんと上越零細連の向いている方向はほぼ同じであるということ。
これには心強さを感じました。
(実際にその後高鳥さんは党上層部に対し何度も経済対策を申し入れることとなります)
2.前述したハードルの話。
直接国会議員にまで提言したものの、国会議員ですらそれを実現させるために高くていくつもあるハードルを越えなければならないという事実。
ひとつの国を動かすというのは簡単なものではないと改めて実感しました。
3.高鳥さんは政治家であった。
それまで先輩後輩として一緒にお酒を飲み校歌を歌う間柄だったものが、初めて真面目に?対話してして思ったのは、高鳥さんは政治家であったということ。
会話するときに、ずっとこちらの目を見ているのです。
負けないように(?)目を逸らさないように頑張ってみましたが、これは簡単そうで難しいのです。さすが政治家だなと変に感心してしまいました。演技でできることではありません。
この記事の最後に、改めて高鳥さん、古川所長さん、高鳥事務所のみなさんには、年の瀬に貴重な時間をいただき御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
15分の予定のところ30分!も時間をいただき、じっくりとお互いの意見交換もできたと思っています。オフレコ話も多く正直とても勉強になりました。伊東くん、町くんも刺激と勉強になったと思います。
何より、私たちの考える方向性に間違いはないと確信し、大きな自信となりました。12月のできごとを半年後に文章にしていることをお詫びします。また文体については代表のいわゆる「今井節」ですので砕けたところがありますがご了承ください。
2021年6月4日記す
上越零細連 代表理事 今井 孝
当日の模様は早速各社が記事にしてくださいました。
上越ケーブルビジョンさんの上越妙高タウン情報のリンクを掲載します。当日の雰囲気をご覧ください。
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